トレースマップ (カシミール3Dで作成)
*この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用しています。(承認番号 平17総使、第654号)
籾糠山の花と展望を見る
籾糠山 (1744m 飛騨市) 2007.6.10 曇り 2人

天生峠駐車場(8:08)→林道から山道へ(8:11)→天生湿原北(8:30)→<西周り>→天生湿原南(8:46)→カツラの大木・木平湿原分岐点(8:50-8:55)→カラ谷コース分岐点(8:58)→ミズバショウ群生地分岐点(9:01)→ミズバショウ群生地(9:03-9:05)→カラ谷分岐点(9:09)→<カラ谷コース>→木平分岐点(9:43-9:49)→籾糠分岐点(10:08)→籾糠山山頂(10:32-11:55)→木平分岐点(12:30)→木平湿原(12:51-12:57)→カツラの大木・木平湿原分岐点(13:25)→天生湿原南(13:34-13:41)→天生湿原北(13:48)→駐車場(14:06)

 6月初旬、山仲間で必ず籾糠山の話題が出る。誰かが登って、ミズバショウで埋まる湿原や緑色のニリンソウなど数多くの花の写真が掲示板を飾る。行くなら6月初旬と決めていたが、遠方でもあり、なかなか実現しなかった。6月の第2週の日曜日に山行の予定をして、今年こそはと籾糠山を選んだ。ミズバショウはやや遅いかもしれないが、花は期待できそう。ところが天気は雨。それでも飛騨地方の降水確率50%と美濃地方よりも低い。直前まで迷ったが、花を目的に、雨でも登ることにして決行。

 5時半に岐阜市を出発。飛騨清見ICを下りてすぐに左折して小鳥ダムへ向かう県道を北上。今年完成する清見−白川間の東海北陸自動車道はこの県道に沿って作られ、途中から西に向きを変え、籾糠山の真下を抜ける飛騨トンネルで白川郷につながる。ダム湖を左に見ながら北上し、国道360号線に突き当たる。左折してヘアピンカーブの登り坂を対向車に注意してぐんぐん上っていく。タニウツギやトチノキの花が美しいが脇見している余裕はない。ここはすでに河合町天生。
 
 天生峠は泉鏡花の高野聖の舞台でもある。「・・・・ほどなく急に風が冷たくなった理由を会得することが出来た。というのは目の前に大森林があらわれたので。世の譬にも天生峠は蒼空に雨が降るという、人の話にも神代から杣が手を入れぬ森があると聞いた・・・・」 高野山出身の伝道僧が天生の山の中で、美しい女性が住む一軒家に泊まり、妖艶なこの世の物とも思えぬ不思議な体験をする物語。国道からはどんよりと垂れた雲の下に濃い天生の森が広がる。人の入り込まない妖女の住む森は神秘的な美しさを放つ。
 
 傾斜が和らいだところで、いきなり赤い屋根の建物が現れた。目的地の天生峠である。広い2段の駐車場があり、下段にはまだ1台の車もない。下段の赤い屋根の建物はトイレ。上の駐車場に入るところにテントがあり、係員の方に入山料1人500円を支払い、地図をいただく。上段の駐車場は未舗装で7割ほど埋まっていた。身支度しているうちに次々と車が到着。京都や三重など、他県ナンバーが多い。全国的に名の知れた山のようだ。
 
 係員の「いってらっしゃい」に送られて、テントの脇から林道に入る。折り返すように3分ほど林道を登ると、天生湿原まで1.1kmの案内。案内に従って、左折し湿った山道をゆるやかに下る。トチノキやホオノキが多く、ムシカリの白い花がひときわ目立つ。足下にはマイヅルソウの葉が続く。蕾がふくらんでおり、早咲きの可憐な花がちらほら見られた。まもなく花の道になるであろう。
 
 昨日の雨で濡れた森は生命力に満ちあふれている。濡れて滑りやすい丸木階段を登る。ギンリョウソウやツクバネソウ、ミドリユキザサにカメラを向ける。頭上には満開のウワミズザクラ。展望のいいところがあり、ここから、鉄塔の並ぶ山を手前に雪が残る峰が望めた。右山でS字に歩く。かわいい花を付けたノウゴウイチゴを発見。
 
 小さな谷を折り返すように渡ってすぐに分岐点に到着。ここが天生湿原の入り口になる。湿原を一周できるようになっており、登りは湿原の東側を歩くことにして右側へ行く。すぐに突き当たり。ミツバオウレンがたくさん咲いている。右の湿原を覗いてみると、中央に白い花がたくさん咲いていたが、遠くて花の名前は分からなかった。後方からは数人のパーティー、前には1組のご夫妻。奥さんが花の写真を撮ってみえ、追いついたり離れたり。山頂でも隣り合わせになった。後日、このご夫妻がHP「登山と油絵のページ」の管理人さんであることが分かりびっくり。
 
 木道の周りにはこれから花を咲かせるコバイケイソウや花の終わったミズバショウなどで埋まっている。ズダヤクシュやニョイスミレ、マイズルソウ、チゴユリなど可憐な花も多い。10分ほど歩いて湿原の南側で西回りの道と合流。少し下って、湿原の木道を横断して谷川を渡ると、緑に包まれた平坦地があり、根元が空洞になった大きなカツラの木があった。ここが木平湿原への分岐点となる。
 
 緑の草地にはニリンソウが咲き乱れ、ヤグルマソウの褐色の葉が目立つ。ラショウモンカズラやキヌガサソウも見られる。ミドリニリンソウをいくつか見つけた。この山の名物である。ニリンソウはキンポウゲ科であり、花びらに見える白い部分は「がく」。これが変異して緑色になるらしい。団体さんの後を追ってミズバショウ群生地方向に平坦地を歩くと、分岐点が現れた。カラ谷とブナ探勝路の分岐点である。割れた案内板はおそらく熊の仕業であろう。
 
 予定では、カラ谷を登ることにしているが、ミズバショウ群生地が300m先にあるので、右のブナ探勝路に進む。谷を渡ってすばらしいブナ林に踏み込む。天を緑に覆うブナの巨木が立ち並ぶ姿は圧巻である。深い森の中で、人の手が入らずに太古からの姿で残されているブナの林は、不思議に心が落ち着く。人のDNAがこうした大自然の中で生まれた記憶を覚えているのであろうかとさえ思われるほど癒される。こんなところでいつまでも大木を見上げていたい気持ちになる。天生の森は美しい。
 
 ブナ探勝路から右に入り、谷を渡って木の橋を渡ると目の前に湿原が広がった。まだミズバショウの白い花がいくつか残っていた。サンカヨウが昨日の雨に打たれて花びらが透けて見える。大きな葉の上に、花びらを散らせているものも多い。サンカヨウの花は終わりに近づいている。カラ谷分岐点まで引き返す。途中、自然観察員の若い女性に出会った。ブナ探勝路とカラ谷コースのどちらがいいかを聞くと、ブナ探勝路はすばらしいブナを見ることができるが、花が多いのはカラ谷コースとのこと。ついでに、目の前にあった花の名前が思い出せなくて聞いてみるとルイヨウボタンだった。
 
 カラ谷分岐点まで戻って、谷コースに入る。コースの名前のごとく右に涸れた谷を見ながら、木橋を渡り、丸木の道を歩いてサンカヨウやカニコウモリ、シダが茂るブナ林を歩く。ムシカリの群落を抜け、時折現れるキヌガサソウの大輪を見ながら、泥をこねた道を進むと、巨大なカツラの木が数本立ち並ぶ場所に出た。カラ谷コースのほぼ中間点にあるカツラ門である。根元はかなり傷んではいるものの、天生の森を守るように谷に立つ老木の姿は美しい。
 
 カツラの大木の間を抜ける。籾糠山まで1.8kmの標識を通過。いつの間にか、涸れていた谷に水が流れている。鳥の鳴き声が谷に響く。タケシマランの花が水滴を下げている。黒い雲が、頭上のわずかな空に広がり、今にも雨が落ちてきそうな気配。高野聖で鏡花は「・・・杉、松、榎と処々見分けが出来るばかりに遠い処から幽に日の光の射すあたりでは、土の色が皆黒い。中には光線が森を射通す工合であろう、青だの、赤だの、ひだが入って美しい処があった・・・」と記しているが、今日はこの天気。エメラルドグリーンの海に沈み込んだように、緑一色の幽玄の空間が続く。天生の森にはこの雰囲気が似合う。懐かしい記憶が蘇った。雨のチブリ尾根を別山に登ったときの感覚にきわめてよく似ていると思った。
 
 ミヤマカタバミを見ながら、左の斜面を登って谷に並行してトラバースしていく。左の山から谷水が引かれており、コップの置いてある水飲み場で、冷たい水を飲んだ。山側から流れ出る小さな谷を渡り、登り下りを繰り返す。これから花を咲かせる野生ランも見られ、花が絶えることはなさそうだ。水のあるカレ谷を右に渡って、すぐに再び左へ。後方を見ると登ってきた谷が木々で埋まっている。
 
 かなり登ってきたと思ったところで、木平湿原分岐点に到着。籾糠山まで1.3kmの表示。ザックを下ろしてパンを食べる。案内図では、この地点が標高1520m。駐車場から230m登っただけであるが、駐車場から山頂までの標高差は500mに満たないことから、ほぼ半分を登ったことになる。パンを食べてスタート。終わりに近づいたショウジョウバカマの花を見ながら谷を渡ると満開のリュウキンカの群落があり、ロープが張ってあった。
 
 ここから急登が始まる。丸木階段の脇にはツバメオモトが清楚な花を咲かせる。ムシカリの花びらが地面に散ってきれいだ。タムシバも最後の花を咲かせている。白い花が多い中で、ムラサキヤシオのピンク色がひときわ目を引く。モミなどの針葉樹が増えてややなだらかになる。ぬかるんだ登山道には輪切りにした木が並べられてその上を歩く。
 
 籾糠分岐に到着。ブナ探勝路の道が右へ下っていた。籾糠山まで0.8km。下ってくる登山者に出会った。山頂は近いが、最期の登りが残っている。ササが現れ、なだらかな針葉樹の多い道を歩く。小雨がぱらつき始めたが、雨具を出すほどでもない。小さな谷を渡って0.4km地点を通過したところで、目の前に急斜面の丸木階段が現れ、一気に登り切ると、倒れた大きな木の根が隆起していた。丸太の椅子が並んでおり、この倒木で作られたようだ。
 
 正面に籾糠山の山頂が見える。再び急登が始まる。大きなブナが並び、サンカヨウが美しい。急斜面の途中に切り開きがあり、左後方の山々が望める。大きなダケカンバが枝を広げている。急登を登り切ると展望地に出た。山頂である。山頂は狭く、三等三角点と山名の書かれた木柱が中央にあり、南西にはなだらかな山容の猿ヶ馬場山が目の前に横たわる。尾根伝いに道が下っており、尾根は猿ヶ馬場山まで繋がっているが、登山道はないそうだ。
 
 曇り空ではあるが、展望はまずまず。いくつも重なり合う山々の間に白い雲が浮かび、小鳥ダム湖と来るときに通った青い橋が見下ろせた。その向こうにアンテナのある山が見える。この山の左が猪臥山である。眼下には帰路のコースとなる木平湿原が丸い形で樹木に覆われている。小雨が降ってきたがすぐに止んだ。西から雲が湧き上がり、猿ヶ馬場山が見えたり隠れたり。ひととおり展望を終えて、やや早いがランチにする。
 
 木の根を椅子がわりにしてザックをおろした。そこへ、大勢の登山者が到着。聞けば、京都・大阪からバスでみえた30名弱の団体さんだった。昨夜は白川郷に泊まっての遠征。籾糠山は全国区の山になりつつあるようだ。山頂は据わるところもないほどの大混雑。団体さんは記念写真を撮って山頂直下でランチのため、すぐに下りていかれた。
 
 次から次へと登ってくる登山者で賑やかな山頂でスープとチャーハンを作った。岐阜市からみえたパーティーの方と山の話をしながら1時間ほどランチを楽しんだ。パーコレーターでコーヒーを沸かしていると、「その器具は何ですか?」と聞かれた。山にパーコレーターを持ってくる人は少ないようだ。
 
 まだまだ混雑する山頂を後に、急斜面を下った。途中、往路で道を尋ねた自然観察員の女性がこまめにノートに記録をしてみえたので、尋ねると「どんな植物があるのか調べています」とのこと。天生の自然がこうした活動で守られていることを思うと頭がさがる。
 
 山頂から30分ほどでカラ谷分岐点まで下った。ここから木平探勝路へ入る。右手に谷を見ながらサンカヨウやマイズルソウのある丸木道を登る。適度な登りが続く。ダケカンバの木立が美しい。少し登ると、後方に緑の籾糠山が立ち上がってくる。さらに登ると、籾糠山の後ろに猿ヶ馬場山も見えるようになる。足元に紫色のスミレが続く。スミレの同定は難しいが、タチツボスミレと思われた。
 
 道は平らになり木平湿原まで300mの表示を通過。この辺りにはムシカリが多く、またブナもすばらしい。カラ谷分岐から20分ほど登って、木平湿原に到着。木道が設置され、半周できるようになっている。モウセンゴケがたくさんあった。「ダケカンバの大木」の表示があったので池を外れて踏み込んでみると、巨大なダケカンバの倒木に突き当たった。周囲にはダケカンバの巨木が多く、木の霊の息づかいが聞こえそうなほど神秘的な場所である。
 
 木平湿原を後に、しばらくはなだらかな道が続く。朝は雨に濡れて透けていたサンカヨウの花は、乾いて元の白さを取り戻している。このコースのブナ林もすばらしい。あまりの美しさに、何度も立ち止まって巨木を見上げた。天生湿原まで1kmの表示を通過して下りにかかる。ムシカリの花を踏みながら、こねられた泥の丸木道を下っていく。
 
 一気に下って天生湿原まで0.5kmを通過。平らになったかと思うとさらに下りが続く。泥で滑った跡がいくつか見られた。2・3度、ぬかるんだ泥に足を取られながらも、木平湿原から30分ほどでカツラの大木がある分岐点に出た。靴もスパッツも泥だらけである。登山者のザックが置かれたようで、ニリンソウの群落が押しつぶされていたのは残念。
 
 湿原の南のベンチまで歩いて休憩。冷えたフルーツが美味しかった。帰路は池の東を回った。再び小雨が降り始めたので、湿原中央にある匠屋敷には寄らず、駐車場を目指す。先行する団体さんに道を譲ってもらった。団体さんの格好は登山スタイルではないことから、天生湿原散策の観光客のようだ。中には、背広姿に革靴の人もおり、この泥道では・・・。林道に出て駐車場が見えた。下段の駐車場も車で埋まっている。テントの管理人さんに「お帰りなさい」と声をかけられ車に戻った。いつの間にか雨は止んでいた。
 
 それにしても大人気の山である。この日だけで200人は入山したとか。大人気の理由は入山して初めて分かる。ほんとうにいい山だと思った。尾根あり、谷あり、湿原あり、花あり、展望あり・・・変化に富んだ山でありそれもいいが、この天生の森を歩くと、とても言葉で表現できない不思議な感覚を覚える。遠い昔に忘れてしまった何か。生命という視点に立てば人も生き物、遠い祖先から受け継がれた遺伝子が持つ記憶を思い起こさせてくれたような気がした。
 
 天生峠を後に、白川郷に下り、地酒アイスや飛騨牛の串焼きを食べながら大勢の観光客に混じって世界遺産の合掌集落を楽しんだ。
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